こころざし日記 2

こころざし日記 2

娘の夢と、こころざし

 人間万事、塞翁が馬。

 確かに幸せも不幸も、何が原因でそうなるのかなんてわかったものじゃあない。こうすれば幸せになれる!こんなことをすると不幸になる!なんて、普通なら予測などできるものではない。

 いきなり何をいいだしてるんだ?と、思われた方は正しい。なんだかこのところ、おかしな言葉を勝手に口にしたり、書き出したりということが増えてきてしまったからだ。

 ようやくか、と思った。

2014水辺にて

 さて、何がようやくか、なんだかわかりもしないが、意味のない言葉は置いておいて娘の目標の話をしよう。

 先日教えた発声の基礎を、今日まで毎晩繰り返している。基礎なんてものは、面白みもないし楽しくもない。それを文句も言わず、ちゃんとやっている。

 「い、え、あ、お、う、き、け、か、こ、く、し、せ、さ、そ、す……」

 まだまだ、口の形が定まらないのか使い方が誤っているのか、時折かすれてしまう音が聞こえる。

 「あめんぼ赤いなアイウエオ、浮藻に小海老も泳いでる……」

 自分のスマートフォンで、発声した声を録音して、それを聞き返しながら悪い所を直していこうとしている様子なんだけど、まだまだどこを直せばいいのかがわからないようだ。

応援します!

 週末になれば少しばかりでも時間を取って、細かな修正箇所を教えられるとは思う。それまで嫌になって投げ出さなければいいが。

 演じるというのは、最初の入り口は「もしも」を表現することだと思う。「もしも、自分が猫だったら」「もしも、私が天才だったら」「もしも、俺が異世界に転生したら」「もしも、ヒーローだったら」「もしも、ヴィランだったら」

 子供の頃に誰でも一度くらいは、そうした遊びをしたことがあると思う。入り口はそこからでいいんだ。そうして、より身近な誰かにその視線を向けていく。「もしも、自分が学校の先生だったら」「もしも、自分が交番のお巡りさんだったら」「もしも、消防隊員だったら」「もしも、お医者さんだったら」

 その先には様々な可能性が見えてくるかもしれない。演じるだけでなく、本気でそうなろうと目指して、成ってしまうというのもまたよくある話だ。

 演者の中にも凝り性な人はたまにいて、資格が必要な職業の役をするにあたり実際に試験を受けに行くなんて輩もいる。演技者としてどうなのか?といった批判を昔は耳にしたこともあったが、取れるのなら取ってしまえばいい。資格ってのはそういうもんだと私は思う。

 そうして日常の様々な人々から、考え方、目標、手段、体の動かし方、視線の移動、声の抑揚、聴覚の癖など、いろいろなことを学んで、理解しようとしていくのも俳優の仕事だ。ある程度は理解したうえでないと、嘘が外面だけになる。演じるというのはそういうことだ。

 ましてや表情や体の動きで伝えられない声だけの声優というものが、どれだけ大変なことなのかまだまだ分かっていないだろう。……できれば、わからないままスタートを切って欲しい。何らかの役に就いて声だけで演じることの難しさをわかって欲しいとは思う。

 ……そうは思うんだが、それを叶えてくれそうな現場が果たしてどれだけあることか。放送されているアニメを見ていれば嫌でもその心配が出てくる。

 とはいえ、娘の人生なのだからその船長は娘なわけだ。私と妻は二人して、時期が来るまでは乗組員の一人として。いつか仲間たちに巡り合えたならば、船出する船を岸辺で見送ることになるのだろう。

 そんな日を夢想するだけで、嬉しくもあり、寂しくもあり。なんとも言えない想いが浮かんでくるのを感じる。

 ……ま、見ている感じではかなり先のことになりそうではあるけれども。

 いじょ……。

娘の弟 JOY.
投稿日: 2019年5月10日Manager H/B.

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