カテゴリー
色々処 [ 雑 ]

野望と大志と

引き際と切り替えも大事だけど、それ以前に大事なのは、元になった心。野心だったり志だったり呼び方は変わるだろうけど、本質は「自身の願い」。ぼんやりと浮かぶ思いではなく、何度も何度も手に入れたいと願う心。それを手にするために何をしたらいいかと思案する思考。そうして実際に動かす手足……

大志と野望と

 さて、本題。

 今回の話は、つまり大志と野望の違いについてをぐるっとまわってわかりやすいようにしはじめたわけだ。

 そこにいつもどおりの迂回路で寄り道が発生したり、方向を見失い右往左往した様が、ここまでの文章に見え隠れしていると思う。

 これこそが大志も野望もなくつらつらと書き流す文章のいい例だ。

 野望にしろ野心にしろ、大志と呼ぼうが志でもいいが、そうしたものが一様に伝えているのは次の一言だ。

 「人生、目標をもって自分の舵を取れ!」

 生活の為に会社に所属するにしろ、より実感できる舵取りのためにフリーランスになるにしろ、起業するにしろ、どんな形態であろうとも自分のための目標は立てられるはず。

 それを叶えるのに千年が必要だと判断できるなら、そんな目標は諦めろ。人間なんだ、千年も生きられっこないのだから。

 けれど、どれくらいかかるかわからない、が理由であるならば、その目標、その野望、その志、その野心は、手放さないでいくのがいい。

 どのくらいかかるかわからないなら、まずは何からはじめたらいいのか、を探す。

 何からはじめたらいいのかが分かったなら、それをやってみる。

 一年か二年、続けてみたら、当初の目標までどれくらいの時間がかかるのか薄っすらと見えてくるはずだ。……見えてこないと言うのであれば、向いていない可能性もあるのだから、試しにあと一年続けてみてそれでもダメなら辞めてしまえ。

 三年続ければ、何か一つか二つは身についた技能や知識があるだろうから。今度はそこでそれらを元に新しい野心なり野望なり大志なりをはじめてみたらいい。

 そういったことを、今回は伝えたかったとそういうわけだ。

 引き際と切り替えも大事だけど、それ以前に大事なのは、元になった心。野心だったり志だったり呼び方は変わるだろうけど、本質は「自身の願い」。ぼんやりと浮かぶ思いではなく、何度も何度も手に入れたいと願う心。それを手にするために何をしたらいいかと思案する思考。そうして実際に動かす手足。

 そうしたものを全部ひっくるめて、博士は大志を抱けといったんじゃないだろうかなぁ。

近隣の複合施設屋上駐車場の空

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください