心の理屈 第壱夜

心の理屈

泣いたり笑ったり怒ったりぼんやりしたり。

生まれたての心

 生き物には、生まれながらにして心があります。それは、泣いたり、笑ったり、怒ってみたり、ぼんやりしてみたり、そうした様子からうかがえます。

 人は生まれてすぐに泣きます。オギャーッと泣いてこの世界に生まれてきます。泣くという行為にはおそらくいくつもの心が埋め込まれているのでしょう。嬉しい時も、悲しい時も、怒ったときも人は泣きますから。だから生まれてすぐに人は泣くのかもしれません。

 生まれたての心には、喜びも悲しみも怒りもあり、それは五感と結びついて成長していきます。見て、聞いて、嗅いで、味わって、触れて成長していくのです。だから心を育てるというのは、見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、そして触れさせることが重要だといいます。

心の理屈

幼い心

 いろいろなことを、見て聞いて嗅いで味わって触れてきはじめた心は、そこで好きと嫌いを形作ります。見て好きなもの、聞いて好きなもの、嗅いで好きなもの、味わいが好きなもの、触れた感触が好きなもの、これらを自分のものにしたいと思うようになります。そうして逆に、嫌いなものは自分から遠ざけようとしはじめ、最初の自我と結びついていきます。

 私はこれが好き。私はこれは嫌い。幼い心にはこれしかありません。

 心はとても正直です。好きなものは好きで、嫌いなものは嫌。生理的な好き嫌いが育まれ幼い心はさらに成長をしていこうとします。好きなものをたくさん手元に得ようと、行動していくのです。

多感な心

 好きと嫌いを覚え、成長をつづけた心はやがてさらに複雑な問題に直面します。それは、好きなものに嫌いなものがオマケでついていて、しかもその嫌いなものを遠ざけられない、といった状況です。

 例えるならなんでしょう。大好きな毛布があって、感触がとても好きで手放したくないのだけど、長いこと使いっぱなしで匂いがひどい、とか。あるいは、大好きな景色があって窓越しにいつも見上げるのだけど、そうするといつも邪魔をされるとか。

 好きなものと嫌いなもの、その二つが結びついたとき、心はどのようにそれを秤にかけるのでしょうね。ここは十人十色と思われ、育った地域や周りの環境からの影響も強く出るところだと思われます。

 こうして掛け算のように、好きと嫌いが細分化されていきます。好きだけど嫌い や、嫌いだけど好き、痛いけど気持ちいい、気持ちいいけど痛い、まぶしいけど綺麗、綺麗だけどまぶしい、うるさいけど好き、臭いけどおいしい、気持ち悪いけどかわいい。なんだかどんどんと心は多感になっていくようです。

 

シンプルな心

 多感さを覚えると、しかし多くの男性はそれを、面倒なことだと思う傾向があるようです。なんだかよくわからないし、伝えるのも面倒だ。そうしてシンプルにまとめようと些細な部分はどんどんと切り捨ててとらえようとしていくようです。

 多くの場合、心はセンサーの役割を担っているので繊細であればあるほど精度は高いといえます。しかし、若輩の頃はとにかく何かに向かって結果を出そうと一生懸命になることが多いです。結果を急げば急ぐほど、細かいセンサーは不要とされていきます。大雑把でいいんです、結果さえ出れば。そうした未熟な考え方が結局は自分自身の感じとる能力を制限しはじめ、やがてシンプルな心が育ちます。

 心はシンプルだととても気楽です。ざわつくことも少なく、不安に思うことも多くないでしょう。覚悟も決まりやすく、オールオアナッシングの選択肢にも躊躇しない強さがあります。強い心のひとつの形がこのシンプルな心と言えるでしょう。

いろいろな心

 いろいろな心が育っているこの世界、素敵な時代だと思いませんか?かつての時代の中で、これほど多様化しこんなにも互いに理解しあえない、そんな心どうしってあったのでしょうか。それぞれが自分たちの心をあけ放ち、見せ合うのは、すでに佳境に達したようです。なぜなら、数の多い群れが自分たちの意に沿わない者たちを数や力で封じ込めようとする、そんなさまをネットの世界でも見ることができるようになったからです。

 理解しあえなくとも、互いに不干渉とはいかないところが、心を考えるうえでの面白いところでもあり、厄介なところでもあります。

 それでも、これほどに多様化した社会の中で、多くの人の胸中にしっかりとした心が育まれていると知れば知るほど、いい時代だなと思わざるをえません。

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