こころざし日記 3

こころざし日記3

つれあいの夢と、こころざし

 つれあいの夢が、だんだんと固まってきている。

 もともと、動物園の飼育員に成りたかったそうだ。高校を卒業するときまでそう思っていたのだが、当時の動物園では女性の募集が少なすぎて、かなり頑張って色々な伝手を頼って、それでも断念したらしい。

 そんなつれあいが、去年に「愛玩動物飼養管理士 2級」を取得。夢を夢のまま終わらせないために頑張りはじめ、今は地元の動物保護施設へと働きに出るようになった。

 人生を共に歩もうと決めた相手が、こうして自分の夢も諦めないでいてくれることほど心強いものはない。働きに出る分、家事はできるかぎり分担していきたいと思い、仕事場までの送り迎えもさせてもらうことにしている。フリーランスゆえの強みが生きていると思う。

線路は続くよどこまでも
並走する線路

 まじめで優しいところが強いつれあいは、そういう性格だから仕事に出るとついついオーバーワーク気味になってしまうことが多い。

 命の世話をする仕事なので、それなりに肉体労働も多いそうだ。犬を抱えあげたり、散歩に連れて行ったり、子猫の世話をしたり、大人猫にご飯をあげたり。そうした仕事が中心だと聞くが、中腰での作業も多く体は疲れ果てて帰ってくる。

 そうした母を見て、娘も自分の夢をしっかりと思い描くようになった。やはり同姓の親の背中は励みになるみたいだ。競い合うように、それでいて支え合うように、これからも母子ともに仲良く夢を追いかけ合ってほしいと願う。

 目標を持って生きている間は、いろいろな楽しさが溢れていくものだと思う。幸せな家族になろうと決めた日に、そんな話をつれあいと話した覚えがある。

 生活に追われ、その憂さを晴らすかのように娯楽に興じ、収入を超えないまでもそのほとんどを飲食やゲーム、行楽などにたれ流しつづけるだけの生活では、幸せからほど遠い。何かを学び、何かを得て、そうしてその得たものを誰かに与えていけるような暮らしをしていきたい、と。

 だからその方向へと向き始めた今、私は精一杯に縁の下の力持ちを目指していきたいと願う。つれあいと、娘と、二人が夢を追い続けて行けるように。

応援!

 こころざし、そう言い切るには、夢がたんなる夢のままでは遠く感じる。

 娘が目指したいと言ったものは、自分自身の自己実現であり、自分がこうなりたい、というところからまだ脱却できていない。これが私の夢だから、と言うのであれば十二分の目標だろう。

 つれあいはと言えば、夢の先には最初から、保護される犬猫の幸せが願われている。それだけでなく、保護猫たちの新たな飼い主となる、見知らぬ人々のことまでも考えているみたいだ。こうなればもう十分にこころざしだと言える気もする。

 娘も実際に社会に出て、いつかどこかで現場で仕事するプロに出会える日が来れば、母の追う夢の意味が見えるようになるのかもしれない。より具体的な体現者に会うことで学ぶものは多い。しかしそこまでの間に、偽りのプロに散々騙されたり惑わされたりということもあるかもしれない。

 目指すのであれば、中途半端な妥協を覚えたはんなりのいい加減なものなんかではなく、できれば生涯をかけて実現して生きたいと願えるような目標を手に入れて欲しい。

 そうなれば、その夢や志が叶うまでの間はずっと、生き生きと幸せな日々を過ごして行けるだろうから。辛いも多く、面倒も山ほど生まれ、キツイ日々でもあるのだけれど、そこで加減をある程度覚えたらいいな。オーバーワークを日常化してしまわないように。

 なんてことを思いながらこの備忘録ともいえる日記をつけている私自身は、つれあいと娘に出逢えた日からずっと、夢を追いかけ続けている。

 私の夢は、家族が幸せでありつづけること。

 幸せがどういうものなのかは、ひとりひとり違うものだから、こうして似たような方向性の幸せを目指せる、そんな家族を得られてとても幸せだと思う。だからこの幸せを獲得し続けていくために、できることは精一杯していこうと願う。

 夢は叶ってからの方が大切。叶えてそこでハイ終わり!な夢であれば面倒はないのかもしれないのだけれど。叶った先で次の方向を見定めないと、いつかになって、あの頃は良かったと、そんな後ろ向きな人生になってしまうかもしれない。

 実際に私自身が、二十代の頃を思い返して、複雑な思いでその頃の自分に後悔と羨望を感じることがあるのだから、そうなんだろう。そんな思いをそのままにして、見事に後ろだけ向いたままの生き方をしていたことも今は懐かしい。

 懐かしんでみたが、けれどやっぱり振り返ったままの人生は嫌だ。あの頃の胸中を胸に、今この場所で前へと顔を向けて一歩一歩でも進んでいきたい。

 いじょ……。

末の子 JOY.

こころざし日記 2

こころざし日記2

娘の夢と、こころざし

 人間万事、塞翁が馬。

 確かに幸せも不幸も、何が原因でそうなるのかなんてわかったものじゃあない。こうすれば幸せになれる!こんなことをすると不幸になる!なんて、普通なら予測などできるものではない。

 いきなり何をいいだしてるんだ?と、思われた方は正しい。なんだかこのところ、おかしな言葉を勝手に口にしたり、書き出したりということが増えてきてしまったからだ。

 ようやくか、と思った。

2014水辺にて

 さて、何がようやくか、なんだかわかりもしないが、意味のない言葉は置いておいて娘の目標の話をしよう。

 先日教えた発声の基礎を、今日まで毎晩繰り返している。基礎なんてものは、面白みもないし楽しくもない。それを文句も言わず、ちゃんとやっている。

 「い、え、あ、お、う、き、け、か、こ、く、し、せ、さ、そ、す……」

 まだまだ、口の形が定まらないのか使い方が誤っているのか、時折かすれてしまう音が聞こえる。

 「あめんぼ赤いなアイウエオ、浮藻に小海老も泳いでる……」

 自分のスマートフォンで、発声した声を録音して、それを聞き返しながら悪い所を直していこうとしている様子なんだけど、まだまだどこを直せばいいのかがわからないようだ。

応援します!

 週末になれば少しばかりでも時間を取って、細かな修正箇所を教えられるとは思う。それまで嫌になって投げ出さなければいいが。

 演じるというのは、最初の入り口は「もしも」を表現することだと思う。「もしも、自分が猫だったら」「もしも、私が天才だったら」「もしも、俺が異世界に転生したら」「もしも、ヒーローだったら」「もしも、ヴィランだったら」

 子供の頃に誰でも一度くらいは、そうした遊びをしたことがあると思う。入り口はそこからでいいんだ。そうして、より身近な誰かにその視線を向けていく。「もしも、自分が学校の先生だったら」「もしも、自分が交番のお巡りさんだったら」「もしも、消防隊員だったら」「もしも、お医者さんだったら」

 その先には様々な可能性が見えてくるかもしれない。演じるだけでなく、本気でそうなろうと目指して、成ってしまうというのもまたよくある話だ。

 演者の中にも凝り性な人はたまにいて、資格が必要な職業の役をするにあたり実際に試験を受けに行くなんて輩もいる。演技者としてどうなのか?といった批判を昔は耳にしたこともあったが、取れるのなら取ってしまえばいい。資格ってのはそういうもんだと私は思う。

 そうして日常の様々な人々から、考え方、目標、手段、体の動かし方、視線の移動、声の抑揚、聴覚の癖など、いろいろなことを学んで、理解しようとしていくのも俳優の仕事だ。ある程度は理解したうえでないと、嘘が外面だけになる。演じるというのはそういうことだ。

 ましてや表情や体の動きで伝えられない声だけの声優というものが、どれだけ大変なことなのかまだまだ分かっていないだろう。……できれば、わからないままスタートを切って欲しい。何らかの役に就いて声だけで演じることの難しさをわかって欲しいとは思う。

 ……そうは思うんだが、それを叶えてくれそうな現場が果たしてどれだけあることか。放送されているアニメを見ていれば嫌でもその心配が出てくる。

 とはいえ、娘の人生なのだからその船長は娘なわけだ。私と妻は二人して、時期が来るまでは乗組員の一人として。いつか仲間たちに巡り合えたならば、船出する船を岸辺で見送ることになるのだろう。

 そんな日を夢想するだけで、嬉しくもあり、寂しくもあり。なんとも言えない想いが浮かんでくるのを感じる。

 ……ま、見ている感じではかなり先のことになりそうではあるけれども。

 いじょ……。

娘の弟 JOY.

こころざし日記 1

こころざし日記1

娘の夢と、こころざし

 早いもので娘がもう、高校三年生になった。

 妻と一緒に家族となってから五年と少しが経過したことになる。出逢った最初はちっちゃな小学生で、電車で帰ろうとすると駅で涙鼻水垂れ流して大泣きしていた子が、大きくなったものだ。

 そんな娘が社会へ出るために、今日意を決したような顔で「発声練習の基礎を教えてください」と言ってきた。

 ようやくか、と思った。

家族になった頃の桜

 いつからか、娘の将来の夢は「声優」となってしまっていた。もともとアニメを見るのが好きで、漫画の本も古本屋を開けそうなほどに家にある。

 そもそも、中学に入って吹奏楽部に入部したというのに、なんでバンドとか歌手だとかではなく、声優なんだろう?考えても仕方のないことだと知りつつ、ついつい考えてしまう。

 そうしてかつて、俳優を志していた頃の自分を思い出すことにもなる。無知で無謀で無計画で、加えて無指向性に動くばかりで結果がほとんど出なかったあの頃を思い出してしまう。

 まあ、若さゆえのモニュモニュというやつだろう。

家族で見た風景 その一

 娘が声優になりたいと言い出したのは、高校へあがってしばらくした頃だったような覚えがある。……間違えていたらごめんなさい。

 それからどれだけの時間がかかって、ようやく具体的な行動にうつそうと言うのだ。応援は惜しまない。できる範囲でだが。

 発声練習の基礎となるあたりは、習ったのが既に30年も昔のことだし、反復練習をしていたのはもう5年近く前のことになっている。……具体的な方法とかかなり曖昧にしか覚えてない。

 こんないいかげんで教えていいんだろうか?そんな考えが頭に浮かんだ。そしてすぐさま、Googleさんにこう尋ねてみた。

 「OK Google、発声練習の基礎について教えて」

 「了解しました。ハッセイレンシュウのキソについては、こんな感じです」

 ……我が家のGoogleさんはとてもできた人だ。見るとそこには、数多くの”発声練習”と”基礎”に関わるサイトが並んで表示されている。

 藁にもすがる思いでひととおり、三ページくらいだろうか?検索結果の。を、通し読みして、そこからおもむろに娘に向かって「今からはじめるよ」と言ってみた。実は「発声練習の基礎を教えてください」と言われて、「仕事がまだあるから、それが終ってからならいいよ」と胡麻化していたわけだ。

 というわけでこれから、基礎の基礎となる発生の仕組み(口腔内と腹式呼吸)と、はじめての発声練習あめんぼ赤いな北原白秋の授業をしてまいります。

 いじょ……。

娘の弟 JOY.