優しさに溢れる世界でありますように。

優しさに溢れる世界でありますように。

May the world be full of tenderness.

こころざし とは、心がさし示す方角。
それは数学で言うところのベクトルに似て、方向と角度だけでなく、質量を持つ。

士(さむらい)の心(こころ)、と漢字で表されるそれは、
自身のためだけでなく、誰かの為にと願い請い、
故により強く、抱く者の胸中に座す。

さし示す方向は千差万別。
誰かを守るためであれば、それは平穏な方向を望み、
誰かを満たすためであれば、それは賑わいを指し、
誰かを育てるためであれば、時に厳しい方向へと指針を向けもする。

重さはそれこそ万人で異なる。
どれだけ強く想う相手か、にもよるのだろうか。
あるいは意地や見栄も働くのかもしれない。
人の数だけ重さは異なり、また時にその量を変える。

角度は常に上がったり下がったり。
よほどでない限り、一定ではない。場合によっては一瞬で180度反転する者さえいる。それでいて、そういうものほど見栄を張り、自身の志を掲げて見せようとする。
黙々と、常に少しだけ上向きを維持し、目指す方向へと歩を進めてゆく者もいる。

May the world be full of tenderness.

かつて、志ある者を指して人は、「大人」と呼んだ。

そういうわけだから僕はずっと「大人」とは認められなかった。認められないだけならまだしも、存在そのものを否定された。否定され続けてきた。

志ってのが、自分の事を最優先に考えていいものだったらよかった。
それだったら僕にでもできる。
他の誰かの為になんて、そんなことを考えていたら損ばっかりじゃないか。

好きになった子のために全てを投げうって、それでもまだ足りなくて他人に頭を下げて精一杯頑張った。けれどそれで身ぎれいになったあの子は、僕じゃあない誰か他の奴のところへ急ぎ足で駆けて行った。

大切な友達だと思っていろいろと手を貸し知恵を貸しとしていた奴は、より金回りのいい集団に自分だけ参加していった。

大事だと思っていた家族からは、とうの昔に見放されているし、学生時代の親友だと思っていた奴らも、精神を病んでしまうとそれきりで音沙汰がなくなる。

そんな状態だったから、僕は独りだった。けっこう長いこと独りだと思ってたら、いつの間にかこの部屋におかしな同居人が居ついてた。

同居人は茶トラのオス猫。本人曰く、この星の生まれる前から生きているらしい。

そう聞こえた時、僕は思わず自分の頭を疑ってしまった。長いこと病んできたうつ病が更に悪化したんだろうかと心配にもなった。

けれど、そんなことどうでもいいと、その時同時に思っちゃったんだ。病んだ心がついに壊れて、ありもしない喋る猫を見せてくれるというのなら、それはそれでいいかなって。

どっちにしたって独りきりだ。今更大人にすらなれない。誰かの為にと願えない僕はどこまで行っても半人前のまま。子供ですらない。その時間はとうの昔に終了を迎えている。

そう、要は半人前というわけさ。

そうして同居する茶トラのオス猫と、家にいる間だけずっと話し込んで、日中はこう見えてバイトがあるから、働いて帰ってきて風呂に入ってから。
そんな日が、ここ数年は続いている。

茶トラの猫には名前があった。聞いたらサラッと教えてくれた。けれどなんか聞き取れなくてよくわからなかった。なので耳に残った単語だけを頼りに、僕は彼のことをJOYと呼んでいる。

これはそんなJOYから聞いた、この星の年代記みたいな物語……。