遠き昔の平和の景色

遠き昔の平和の景色

遠き昔の平和の景色

平和の景色

朝起きるとすでに起きて朝食の用意をしている家族がいて、あと五分と思いながら寝過ごす。出がけに玄関前で忘れ物はないかと家族に問われ、大丈夫かなと不安に思いつつも急いでいるのを優先して駆け出してしまい、後でこっそりと後悔する。学校へ行っていた頃なら、その後は通学路の道中に空をながめて雲を楽しんだり、途中で会う友達とのはしゃぎあいが楽しかったりもした。就職をした今なら通勤電車の中でとる睡眠の甘美さが嬉しい。

学生時代の平和な思い出は尽きることがない。喧嘩の一つをとってみても、後になって仲直りできたものばかりだし、言いたいことは胸を張って言って、言い返された言葉をじっくりと噛みしめ、くだらない話題でもりあがってみたりもあったし、真面目に語り明かした頃もあった。

いじめと言うのだろうか、高校時代になってその対象にされていたと、当事者から言われた思い出もある。知らぬ間にそんなことがあったんだと感慨深く耳を傾けもしたし、それ以上に気になることもあっていじめられていたこと自体をあまり気にもしていなかったというもの我ながら変な人だと思う。とにかく、高校生くらいまではそこら中が平和に満ちていた。

テレビで見るアニメには、けれど平和と呼べるものは数が少なく、人気の高い作品のほとんどが争いを描き、そこに現れるヒロイズムや悲喜劇を競い合っていた。そんな刺激を知ってしまうと平凡な日常を描いたアニメやドラマなど見る気にもならず、もっぱらロボットアニメや変身ヒーローなどを楽しんでいたような気もする。時代劇は、言葉の言い回しが面倒に思えたり定番の繰り返し構成に飽き飽きしてしまった。

平和だなぁと、目に見える世界のほとんどがそんなだった時代、けれどアニメや漫画には描かれもせず、ドラマや流行の歌にも歌われず、知られざるところでときにコッソリと、ときに広範囲に、争いはいつも絶えずあり続けているのだと知るのは20歳になる少し前。平和だと思い込んでいる世間をせせら笑うように、悪いことを考える奴は悪いことを悪いことだと知りながらやりつづけ、更に深みへと堕ちていく。そんな様を見させられる機会があって、少しおかしくなってきたのかもしれない。何が平和で、何がそうじゃないのか。そんなことを考えてしまう日々をおくりつづけている。

投稿日: 2018年9月7日Danna

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